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行政改革やTPPなどをテーマに橋下市長お膝元の大阪にて、5月11日に経済講演を実施。自主憲法や国力倍増についても議論。

 

 いまの日本にとって政治が考えなければならない本質的な問題は何なのか。ともすれば公務員叩きや行革に答を求める議論が多い中で、5月11日に大阪で行った9度目の経済講演では、<「行政改革」を斬る。>をテーマに掲げました。副題は、「人気取り政治はもう要らない。国力倍増へ、平成の八策」です。政治が本当に議論しなければならないのは、国家の希望をどう描くかだと思います。それができるためにも「決められる政治」が必要です。今回は、新党が立つべき軸は何かについても議論してみました。



●「百年河清を待つ」になってはいけない。

講演では、まず、松田まなぶより、政局情勢について簡単な報告を行ったあと、前半は、「行政改革」が果たして日本の本当の答なのかについて議論してみました。

もちろん、行政のムダは徹底して排除しなければなりません。行革は常に国政の重要課題です。しかし、だからといって、すべての国民が満足するまで、社会保障の財源である消費税率引上げを先延ばしして良いということにはなりません。それでは「百年河清を待つ」ことになってしまいます。人間の世の中につきもののムダの摘発には終わりはないでしょうし、価値観が多様化したこんにち、人によってムダに対する見方も異なるでしょう。

行革は永遠に追求すべき課題です。それを徹底する一方で、国民のために真の課題を明らかにし、たとえ不人気であってもそうした課題に正面から向き合う姿勢が政治には求められます。

残念なことに、高齢化の進展ともに膨らんできた社会保障の財源措置を、日本の政治は長年、怠ってきました。選挙の票を気にして、国民の耳に痛い増税をできるだけ言わなくて済むための言い訳として、行政のムダの排除が唱えられ続け、ときに公務員を叩き、まずは政府が「身を切る覚悟を」という論理に、政治は逃げてきたように思います。

●ポピュリズムと行革

それも政治的精神論としては必要かも知れませんが、選挙での票集めの犠牲になっているのは、社会保障負担の先送りを押し付けられる将来世代ではないでしょうか。私たち現在の世代も、高齢者もおカネを使うときに負担する消費税のウェイトが低い税制のおかげで、社会保険料のアップなどの形でジワジワと負担増を強いられています。こうした事態についての政治側からの説明がこれまで不十分だったことが、「社会保障税の一体改革」について国民の納得感が薄い理由の一つかもしれません。

社会的に力の強い(と思われている)特定勢力を叩くことは、人気取りのポピュリズム政治の常套手段です。歴史をみると、ときにそれは、ファシズム(全体主義)につながることもあるようです。国民の関心を官僚に向け、それを叩くことが拍手喝さいを呼んでいるうちに、国民には本質的な問題が隠蔽されてしまう。そのような危険を避け、私たちの、そして次の世代の生活や利益を図るために、政治を見る目を有権者自身がしっかりと養う必要があると思います。



●日本は小さな政府という不都合な真実

そのための材料として、今回の講演では、日本の行政機構の「不都合な真実」に触れてみました。メディアや政治家のキャンペーンで、多くの国民が日本の政府は官僚の利権で肥大化していると認識しているのではないでしょうか。しかし、冷静に数字で国際比較をしてみると、日本は先進国の中で最も安上がりの小さな政府です。人口やGDPと比較した公務員数、人件費などは、中央や地方、天下り先と言われる政府関係機関などを合わせても(軍事関係は除く)、日本は最も数値が低い国です。

政府の財政支出の大きさをOECD諸国と比較してみても、全体として最下位に近い数字になっている中で、社会保障支出の対GDP比については、日本の数字は高齢化の進展とともに少しずつ順位が上がっています。しかし、社会保障支出以外の財政支出の対GDP比は最下位にまで低下しました。



●正確な自己分析が必要。

これは、政府が社会保障以外に使えるおカネが最も少なくなっている国が日本であることを示しています。つまり、増大する社会保障費の財源手当が不十分なため、そこにおカネが食われて、政府がその機能を発揮する力を財源面で大きく喪失しているのが日本の姿ともいえます。これも、「失われた20年」の背景の一つかもしれません。

つまり、行革やムダの排除、公務員給与の削減ということが消費税引上げの当然の前提のように言われていますが、その是非はともかくとして、少なくともそのことが日本の政策全体の中で高い優先順位になるような状況では必ずしもないということになります。もっと大事なことがあるのに、行革さえすれば明日が開けるかのような議論をするほど、日本の政府は大きすぎるわけではないということです。

日本の多くの人々が、自国の政府は大きな政府で、官僚の人件費も膨大だと思っているようですが、国際社会の中での比較でよく自己分析してみれば、実は、その逆であるということは、知っておくべきことだと思います。

ちなみに、社会保障に全額が充てられている消費税の収入が増えたところで、それは年金や医療や介護などに回るわけですから、国民から国民へのおカネの移転ということになります。政府の懐を豊かにする性格のものでは必ずしもありません。



●世界を日本に対して開いてもらうのが日本にとってのTPP

講演の後半は、日本が自主独立国家として未来を開いていくにはどうすれば良いかという観点から議論しました。その材料として、たちあがれ日本がとりまとめた自主憲法草案を取り上げ、松田まなぶの提起する「国力倍増」の考え方にも触れましたが、今回は日本の「興国」という観点からTPPについて論じました。

日本が自己分析ができていない国であるのは、TPPも同じです。米国がTPPで虎視眈々と日本を狙っていると多くの人々が誤解しているようです。しかし、輸出倍増を掲げるオバマ政権が狙っているのは、中国や、アジア太平洋諸国の市場です。TPPでの米国の期待は、成長する現在の参加国の市場であって、人口減少で市場が縮小していく日本ではありません。すでに、日本は世界で最も開かれた国の一つであり、一部の農産品以外、日本の市場を開放して大きく日本への輸出が増える余地もありません。

むしろ、日本に対する米国の関心は極めて低いということのほうが問題です。対日要求で市場をこじ開けるだけの魅力すら日本は大きく失っていることを原点に、自国の次の繁栄の道をどう切り開くかを戦略的に考えなければならないことを、日本人として認識しなければならないと思います。

TPPの日本にとっての意味は、日本を開くことよりも、むしろ、世界を日本に対して開いてもらうことのほうにあると思います。そのような基本的認識に立つて、後記(参考)のような、「日本の陰謀」を考えてみました。



●大阪「21世紀をまなぶ会」5月11日(金)では…

5月11日(金)の夕刻に大阪で開催した「21世紀をまなぶ会」では、概ね以上の議論を通じて、国の「維新」を考えてみました。

日本にいま、最も必要なのは「希望」です。政治の役割は、国家の将来に向けた「希望」を描くことだと思います。国政選挙とは、どの政党が、あるいはどの候補者が、どのような希望を提示しているか、そのような視点から有権者が次の国家のあり方を選択する場でなければならないと考えます。

大阪でのこの定例講演会も、第9回目の開催となりましたが、第10回からは数回にわたり、松田まなぶが描く日本の希望について語ってみたいと思います。



●第10回以降のスケジュール

この「21世紀をまなぶ会」、次回以降は下記の日時で予定しております。

第10回 2012年6月2日(土)16:00〜 テーマ(仮題): 有権者が主役の政権選択。どうみる、各政党マニフェスト。

【予定】(変更の可能性があります)

第11回 2012年6月29日(金)18:30〜 

第12回  2012年7月28日(土)16:00〜 

第13回 2012年9月1日(土)16:00〜 

 

会場:大阪市北区中崎西4−3−32 タカ大阪梅田ビル9階 セミナールーム

お問合せ先:「21世紀をまなぶ会」Tel:06-6375-3331  Fax:06-6375-3341

Eメール: matsuda-pri@kne.biglobe.ne.jp

 

経済講演は、その他、色々な機会に行っていきたいと考えています。

日本再建に向けて、できるだけ多くの方々とともに、日本の本質的な課題は何かを考え、その解決の道を模索していきたいと思っております。

 

(参考)日本が歩む希望へのシナリオ〜強い国をめざす「TPP興国論」〜

松田まなぶ

TPPは日本の希望になる。大切なのは自主独立国家としての矜持と戦略だ。もし、TPP「亡国論」が主張するように米国の陰謀が怖いのなら、この際、日本こそTPPで「陰謀」を企ててはどうか。以下、TPP参加で予測される日本のシナリオを描いてみたい。



●TPPで最も元気になったのが日本の農業

このままでは日本の農業は崩壊することを最も強く感じていたのは、日本の農業従事者だった。高関税や生産調整など、高い価格で消費者に負担させる農業保護方式では、せっかくの品質の良い日本の農産品も競争力が出ない。TPP交渉参加は、農業保護のやり方を農家への直接支払による財政方式へと転換するなど、これまで先送りされてきた農政の課題解決に着手する契機になった。

関税の完全撤廃までの10年の間に、美味しい日本のコメは競争力を一層高め、日本の各地に「豊葦原瑞穂の国」の原風景が回復した。農村には大規模なプロの営農だけでなく、環境保全型農業や零細・中山間農業など、多彩で活力ある光景がみられるようになった。価格の低下と海外の輸入障壁の撤廃で、日本の農産品輸出は大幅に増え、国の食料安全保障も万全なものとなる。農協も農業マネージメントに新たな活路を見出した。TPPで最も利益を得たのは農業だと多くの国民が認識するようになった。



●TPPで増大した日本人の雇用の場

米国を市場とする日本の某基幹産業大手では、米国とFTAを結んだ韓国か、TPPに参加する途上国での現地生産への移行を計画していたが、日本のTPP参加で、工場を国内に残すことに計画を変更した。この世界大競争時代で収益をあげるためには、生産プロセスごとの世界最適地生産でサプライチェーンを組むことが不可欠。TPPで国内と海外拠点との間の供給体制が円滑化したことも、日本国内の雇用を増加させた。

もはや人口減少で市場が縮小する日本では収益は成り立たず、成長するアジア太平洋を取り込まなければ生き残れない。ただ、海外への直接投資を進めようとしても、多くの国々に様々な障害があった。政府調達やサービス分野も日本のように開放的ではない。TPP参加で相手国の数々の障壁が取り払われ、「儲けは海外で、雇用は国内で」の成長パターンが日本経済には定着していった。



●多くの懸念は誤解、TPPは被災地復興にもプラスに

食品などの風評被害は日本にとって頭痛のタネだった。TPPでは日本が主導して、輸入制限を科学的根拠にのみ求める新ルールが合意、これが被災地を抱える東北や近隣の関東では救いになった。農産品輸出の障壁の軽減は被災地での大規模農業の試みにもプラスになる。あの震災が明らかにしたのは東北の中小企業がサプライチェーンで海外とつながる姿でもあった。TPPは被災地をはじめ地域経済の再生に大きく寄与していく。

交渉が進むに連れ、医療や食品の安全、外国人労働者の大量流入など、国民生活を脅かすと心配された多くの事項がTPPとは無関係であることも明らかになっていった。かの悪名高きISDS(投資家−国家紛争解決)も、直接投資を進める日本企業にとっては得ることの方が多く、外国人専門家の資格の相互承認も、成長する国々で日本人が活躍する場を増やす方向に働くことになった。

もとより開かれた市場である日本では、米国からの輸入が大きく増えることにはならず、農産品の輸入も、TPPで増えた品目もあれば減った品目もあるという具合だった。



●21世紀は日本が世界を主導する世紀に

TPPへの日本の交渉参加は、カナダやメキシコに続いて多くの国々をTPPに引き込んでいった。どの国も、日本とのサプライチェーンで有利な位置を維持したいからである。もともと多くの米国人は日本の交渉参加に無関心だったが、このことがTPPの米国にとっての価値を高め、日本の交渉ポジションは強まった。脱退を覚悟の強い姿勢で交渉に臨んだ日本は、米国から次々と譲歩を勝ち取る。もし交渉に参加していなかったら、サービス自由化の例外なども獲得できなかっただろう。APECへと拡大するTPPと日本がいつまでも無関係でいることはできない。それが米国のみを利するルールになっては困る。

交渉の結果、TPPで作られた経済取引の国際ルールは、日本にとって都合の良いものに仕上がっていった。TPPルールが世界へと拡大していく中で、世界のスタンダードは、この秩序形成のインナーとなった日本のスタンダードを色濃く反映するものとなっていく。電気通信はじめ様々な成長分野で、日本は世界を市場として手中にする国になった。

TPPの拡大で、中国が主宰するアジア秩序の形成も抑制された。日本は、APECでの秩序形成と、これに対抗する中国との間の橋渡し役をする。TPPの重鎮国である日本は、その立場を活用し、ASEAN+6でも主導的立場を得て、中国のAPEC秩序への編入を推進、ついにAPECワイドの自由経済圏(FTAAP)が実現する。この地球上の大半をカバーする地域で形成された経済秩序は、WTOに代わる新たな世界秩序になり、この秩序形成に当初から参画してきた日本は、21世紀後半にかけて、様々な分野で永続的優位を確立した国となっていく。

…以上の想定がどのようにして成り立つのか、詳細は拙著「TPP興国論」に委ねたい。多くの人々が希望に向けた自国の道しるべを語る日本になってほしいと願うものである。