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 復興増税と事柄の区別をきちんとつけた議論を

 

「増税派」と目され、財政規律を重視するとされる野田佳彦氏が総理大臣になりました。

 まずは、震災復興対策を盛り込む大型の第三次補正予算の編成が、新政権の大きな仕事です。その財源は借金(復興国債)で賄うものの、財政規律を維持するために、できるだけ早く借金返済(国債の償還)をすべく、「復興増税」が政府で検討されています。それは、かなりの規模の増税になりますが、本当にそのような増税が必要なのか、よく考えなければならないことがあります。



 前置きになりますが、私はすべての増税に反対するものではありません。私も、財政規律重視派です。しかし、いま、物事の理非をきちんとわきまえて、筋の通った経済財政運営をしなければ、日本は震災復興を「天佑」として活かしきれないまま、国家の衰退が加速することになりかねません。震災復興は、次の日本を組み立てる上でも、長年にわたって日本経済が悩み続けているデフレから脱却する意味でも、日本のチャンスになるものです。それができるかどうかは、日本が蓄積している巨額の「凍結資産」を活用できるかどうかにかかっています。それは、財政規律とはまったく矛盾しません。


 確かに、すでに震災以前から「破綻」が話題にのぼるようになっていた日本の財政は、その持続可能性に大きな疑問符がつけられていました。ここに復興の負担の問題が加わり、少子化・高齢化が著しい日本の若年世代に過度の負担を押し付けることはできないとの理由から、復興構想会議でも最初に復興財源論として増税が議論されました。「復興国債」は次世代に負担を残さないよう、できるだけ早期に償還すべく増税を行うべしという議論と、震災から立ち直ろうとしている経済を増税で腰折れさせては元も子もないという議論が、大きな政治的対立軸にもなりました。民主党代表選でもそうでした。


 しかし、大幅に総需要が不足するデフレ状況にあって、日本は各部門合わせて2,700〜2,800兆円もの金融資産ストックと、250兆円もの世界最大の対外純資産を有し、それが決して有利に、またフローとして有効に運用されていないというのが、近年の日本経済の姿です。しかも、1,400兆円の家計金融資産の大半が金融機関を通じて国債に運用され、その国債の大半が過去のストック処理である借換債で占められているという、まさに資産の「凍結状態」が起こっています。
 その下で、日本の財政運営には、「第三の道」があります。ポイントは、次の「3つの区別」の明確化にあります。


‐その1 震災復興は財政規律の世界から区別せよ


 第一に、「財政規律の世界と震災対応との区別」です。そもそも、日本の財政規律の問題とは何なのでしょうか。それは、日本が社会の高齢化の進展に対応できる財政構造への転換を30年以上も怠ってきたことから生じている問題です。付加価値税率5%の国が、人類史上初めての世界一の超高齢化に対応できると考えるのは幻想でしょう。政治も国民も、この「不都合な真実」から目をそむけてきたツケが、こんにちの財政の姿であり、次世代に向けてもたらされる日本国の苦しみです。

 消費税収のうち国の取り分はすべて、高齢者福祉、つまり基礎年金、老人医療、介護の財源に充てられていますが、それでもこれら国費に必要な財源は約10兆円も不足し、それが毎年度、赤字国債として次世代にツケ回されています。社会保障支出の合理化も課題ですが、高齢化という要因だけで毎年度、社会保障費が1兆円以上ずつ自然に膨らむという現実の下では、それだけではソリューションになりません。かつての医療費抑制で医療崩壊が進んだことは、ほとんどの医療人が痛感していると思います。

 この分野での不作為の怠慢がもたらした財政規律の問題が、震災対応の財源にまで制約を課すのは筋違いでしょう。社会保障財源が次世代へとツケ回されている出血状態に対して止血をすべく、消費税率を引き上げていく道筋を具体的に明示し、国家としてそれにコミットすることが、現世代の最低限の責任です。ただ、経済に過大な負荷を与えないために、消費税率を徐々に引き上げていく工夫が必要です。

 例えば10年間という一定の期間にわたって、消費税率を毎年度1%ずつ引き上げていく方式を採れば、問題の多くは解消するのではないでしょうか。現に、この方式で付加価値税率を引き上げた欧州の大国の事例があります。こうした税率アップをどの年度から開始するかを明示すれば、民間の経済主体はそれに適合した行動がとれることになります。何%の税率アップがいつ行われるか分からないという不確実性こそが、経済を萎縮させます。

 消費者側からみれば、将来に向けた消費計画が立てやすくなり、税率アップの前の前倒し消費が常に促進され、景気にもプラス効果が出るでしょう。いま、デフレの下で消費者物価の上昇率がゼロとすれば、消費税率が毎年1%上がるということは、消費者物価上昇率が1%になるということに近いですが、かつて数%程度の物価上昇は普通のことでした。

 企業など供給者側でも、例えば業界単位で毎年、消費税率アップを飲み込むだけの生産性上昇率達成運動に取り組むという目標ができることになります。それによって、賃金が1%ずつ引き上げられるようになれば、企業にとっても消費者にとっても、増税によるマイナスの影響はなくなるどころか、国際的に低い日本の生産性を上昇させる契機にもなります。今はデフレが問題なのですから、毎年度、物価上昇要因が消費税によって組み込まれ、期待物価上昇率がその分引き上げられれば、マクロ経済にとってむしろ好ましいことになります。これで財政規律と経済活性化が両立します。

 こうした消費税率アップの展望を具体化することで、財政規律の問題は片付きます。少なくとも、日本の財政運営に対する市場の信認は大きく改善するでしょう。他方で、復興財源は、これとは異なる論理の下に、別枠でマネージしていくべきものです。


‐その2 建設国債を赤字国債と混同するな


 第二に、「赤字国債と建設国債の区別」です。財政法で禁止されているのは将来に資産を残さず、ツケだけを残す赤字国債であって、公共投資のように資産を残すための借金である建設国債は是認されています。むしろ、将来世代に明確に便益を与え続けることになる財政支出ならば、将来世代に対して受益に見合った負担を公平に求めるべく、建設国債でその財源を賄うほうが理にかなっています。

 日本では国債は全て、60年償還ルールが適用されています。例えば、満期10年の国債の場合、10年後の償還の時点で、当初発行額のうち6分の1だけが税金などで償還され、残りの6分の5は国債(借換債)という新たな借金をして償還される建前です。これが10年ごとに繰り返されて、60年後に全額が税金などの国民負担で償還し終わることになります。これは世界にも珍しい「減債制度」と呼ばれるもので、一気に全額を償還するよりも、毎年度の償還のための国民負担はラクになります。60年というのは、3世代にわたって税負担で少しずつ償還していくということで、それは、資産を後世代に残す建設国債を想定したものだったはずです。

 ところが、日本政府が赤字国債発行に踏み切った1970年代において、将来に資産を残さない赤字国債までもが、60年償還ルールの対象とされてこんにちに至っています。赤字国債を3世代にわたって負担させるのは、いかにも理不尽です。そこには原理原則がありませんでした。こうした論理整合性を無視した措置が、その後、ここまで赤字国債を膨らませた原因の一つだったのかも知れません。

 現に、今年度当初予算は、税収が40.9兆円に対し、新規国債発行が44.3兆円、うち建設国債は6.1兆円に過ぎず、問題は赤字国債が38.2兆円と巨額になっていることです。こうした歳入構造に裏づけられた歳出のうち、社会保障費は28.7兆円と、92.4兆円の国の予算の3割超で最大の費目になっています。ここに前述の財政規律の問題が集約されています。赤字国債は財政法違反ですから、毎年度、違反を許してもらうための特例法を国会で議決して、初めて発行ができているものです。今年度は野党の反対でなかなか通らなかったことは記憶に新しいと思います。

 将来にツケだけを残す赤字国債は、本来なら、できるだけ早く償還するのが筋です。それを今さら、復興国債だけは10年内に税負担で償還するというのでは、論理の混同になってしまいます。むしろ、概ね10数兆円規模とされる復興国債のかなりの部分を占めるのは、インフラ整備向けなどの建設国債となるはずです。赤字国債は一部に過ぎず、もし、早期償還のための増税を考えるとするならば、それはその部分に過ぎないはずです。

 もちろん、一般論としていえば、建設国債といえども、それによって造られる資産の選択に将来世代は参加していないのですから、慎重に考えるべきです。ムダな公共事業のために建設国債が濫発されるようでは、日本全体の生産性が低下してしまいます。

 しかし、こと被災地復興であれば、明らかに後世代に貴重な資産を残す事業です。むしろ、次の新しい日本を建設するぐらいの意味のある大事業でなければなりませんし、そうであってこそ、今回の大災害の多くの犠牲者の方々への慰霊が果たされるのではないでしょうか。そうであれば、復興財源については、将来への投資という意味で、従来のトンカチ事業だけでなく、幅広く建設国債の考え方を適用してもよいかもしれません。それも、従来の60年償還どころか、東北復興が今後百年にわたり、将来世代に価値を残すものになると捉えれば、それを百年債(あるいは百年償還ルール)で発行することも考えられるかもしれません。いずれにしても、超長期の償還とすれば、年々の償還負担は数千億円程度にとどまり、その償還のための増税をあえて考える必要はなくなります。

 今回の震災で「諸行無常」を強く意識した日本国民にとっては、むしろ、永遠の価値という概念で安心感を与える発想も必要かも知れません。「永久国債」までは行かずとも、超長期償還国債=半永久的価値、という考え方は一考に値するのではないでしょうか。

 もし、将来世代への負担を増やしたくないと考えるならば、従来の赤字国債をこそ、60年ではなく、もっと短い年数で償還すべきでしょう。論理がさかさまになっています。


‐その3 コストからバリューへの発想の転換


 第三に、「コストとバリューの区別」です。被災地をコストセンターではなく、価値を生むバリューセンターへと変貌させることで、2,700〜2,800兆円の金融資産のポートフォリオが震災復興に向けてシフトすることによって、復興財源はいくらでも出てくることになります。また、そうでなければ持続可能な復興プロセスにはならないでしょう。1%の運用対象の変更だけで、27〜28兆円もの資金が復興に向けてフロー化します。

 それによって日本対外純資産が多少減っても、何ら問題ではありません。あの世界最大の純債務国である米国と比べても、日本は海外への運用で決して有利な運用をしている国ではありません。むしろ、過剰なマネーを世界に供給して世界的なバブルの要因を作ってきた国の一つが日本でした。汗水たらして築き上げた私たち日本人の資産を、日本人のために有効に使うべきです。

 政府や自治体など官による震災復興事業を、民間の収益事業と整合的に組み立て、そこに産業と雇用の良循環を生むことで、将来にわたる収益性と税収増を展望できるようにすることで、復興は国民負担(コスト)から、経済的効用(バリュー)の世界に転換します。バリューに向けて被災地復興に流れるのは、収益性を求める民間投資資金だけではありません。国債であっても、相互扶助や社会的連帯というバリューを明確化した「助け合い公債」が仕組めるでしょう。民間資金でも、被災者や被災地のための具体的な使途を明確化することでバリューが示されれば、収益性を問わない投資資金(思い入れ投資)や寄付的なおカネが流れ込むことになります。

 このうち寄付については、自分が拠出したおカネがどのように役立っているかが見えないような「義捐金」ではなく、被災地のどこの何のために使われることになるのかを具体的に「見える化」する工夫が必要です。これもバリューの組み立ての一つです。日本では、その面での工夫が従来から不足していたことが「日本人は寄付しない国民」となっていた一因でした。


 いずれの分野でも問われているのは、復興にバリューを組み立てる創意工夫と知恵です。さて、来年から団塊の世代は65歳を迎え始め、生産年齢人口から大量の人口が離脱していきます。それに伴い、これまで日本の危機の表面化を防いでくれていた多額の貯蓄は、取り崩しの局面に入っていきます。もったいないことに、巨額の金融資産を凍結状態にしてきた日本経済も、放置しておけば、それを支える原資が枯渇していくでしょう。

この事態を回避するためには、資産を国内で有効なおカネのフローとして回すことで、新たな資産を形成する回転を強化するしかありません。長らく続くデフレギャップ状態は、日本経済にとってそれが可能かつ必要であることのシグナルでもあります。おカネはうまく回してこそ増えていく。その逆の現象が、「合成の誤謬」(個々の主体が守りへと萎縮することで全体が縮み、個々の主体も縮んでしまう)の形で今の日本では起こっています。

 米国も欧州も、リーマンショック後の財政金融の膨張で、八方塞になっています。国内から有利な投資先のフロンティアが消え、金融が目詰まりを起こせば、どれだけマネーを供給しても、それは海外に流れ、国内には回りません。これは日本が不良債権処理に追われた90年代以降に経験したことでした。いま、それを欧米が経験し、行き所のないマネーが新興国や一次産品などにも流れ、マネーバブルが世界経済を不安定にしています。

 しかし、日本は、行き詰まり状態の欧米とは異なり、震災によって、大きな成長のチャンスが与えられています。震災復興という、マネーの有効な行き場所が生まれました。この「天佑」を活かすことで、日本は経済再生を果たすことができます。それは、震災が突きつけた課題を含め、日本が人類共通の課題解決のモデルを創造する「世界のソリューションセンター・ニッポン」へと飛躍するチャンスでもあります。

 日本の資産ストックを生き返らせ、そうした軌道へと日本を載せることで経済と財政の問題を解決するビジョンと戦略こそが、いまこそ政治に求められているのではないでしょうか。