本文へスキップ
 

 国家の基本像を描くことこそが来る総選挙の争点。大阪にて、10月5日に経済講演を実施。希望あふれる国に向けて、いま問われる政治の役割を議論。


 


 10月5日に大阪で行った14回目の経済講演では「『維新』を戦略化する」をテーマに掲げ、政党間の党利党略や対立軸を乗り超えて真に国益を競い合う政治をどうやって実現するのかを議論しました。日本が次のストーリーへと進んでいくために、いまは国家がきちんと機能すべき局面です。自主憲法制定や、地方の自立と政府の機能など、国の基本像について幅広く意見を交わしました

 

●国会の職務怠慢。

このところ、「解散をめぐる攻防」という言葉が紙面に踊ってきました。政策をめぐる攻防ではありません。今回は、まず、議論の前提として、「決められない政治」と言われる政界の現状を取り上げました。

政治は「国益」という価値を国民に提供する機能であり、何が国益であるかを国民に説得し、合意を得るのが選挙です。しかし、政権をめぐる党利党略と、落選したくない議員たちの「就活」の劇場と化した最近の政界は、私益追求の場に成り果てたように見えます。国民の政治不信が言われますが、顧客(有権者)への価値提供よりも自社の利益を優先する会社(政党)に顧客がそっぽを向くのは当然でしょう。

いま、国会が果たすべき最低限の責務が特例公債法案の可決です。今年度に入ってから、そのような状態が続いてきました。90兆円の今年度予算のうち38兆円も財源の裏打ちがなく、ついに予算執行は抑制が始まりました。最初は地方交付税交付金や大学への交付金などから始まりましたが、これを放置しておくと、国民生活や経済にも重大な影響を与えることになります。

ここで問われるべき重大な問題は、国会としての職務怠慢の問題です。

いま解散に追い込めば勝てると踏む野党は、この法案成立の条件は解散の確約だと迫り、解散すれば負けると踏む与党は、国会開会の先延ばしすら辞さない態度まで示したりもしました。こうした政界の駆け引きの中で法案未成立の状態が続いてきたこと自体、多数決のルールで既に成立している今年度予算を否定するものです。野党であっても、多数決で決まったことに従うのは民主主義の基本ルールです。

明文化されたルールの前に、議員という職業人としての志の質が問われる暗黙のルールの部分があるはずです。国民生活を人質に取っても党利を優先するのは、明らかに行き過ぎです。


●特例公債法案と年度内の資金繰りの仕組み。

現行の制度のままでは、衆参「ねじれ国会」のもとでは同じ問題が毎年起こることになります。ここで、その問題が起こる仕組みについて解説しておきます。

政府の借金の中でも、赤字国債は、将来世代に資産を残さず、ツケだけを残す借金のことですが、その発行は、日本の財政法が禁じています。これに対し、将来に資産を残すための借金である建設国債は財政法第4条で許されており、「4条公債」と呼ばれます。赤字国債はその特例であるため、「特例公債」と呼ばれます。

社会の高齢化とともに国の社会保障費は急増を続け、その財源に充てられる消費税の税率が引き上げられないまま、税収は大幅に不足してきました。結果として、日本政府は巨額の赤字国債発行を続け、平成24年度の一般会計予算では、約90兆円の歳入のうち税収は約42兆円、それを上回る44兆円もの国債発行が計上されており、うち38兆円が財政法で禁じられた赤字国債という状況です。

毎年度、法律で禁止されたことを許してもらうために、特例公債発行法で財政法の例外を法定することで、赤字国債が発行することができてきました。本来は例外であるはずの事態が常態化しているわけですが、この法案が成立しなければ、今年度の場合、予算の執行に必要な歳入約90兆円のうち、約38兆円もの財源が不足し、その分の金額は予算が執行できないということになります。

ただ、財政法第7条では、国は、財務省証券を発行したり、日銀から一時借入金をなすことで、資金繰りをつけることが認められています。但し、これはその年度の歳入で償還しなければならず、その限度額は毎年度の予算で決められています。

ちなみに、平成24年度の予算では、限度額は20兆円となっています。そうならば、その額の範囲で、国は財務省証券の発行で財源を調達し、予算を執行できることになります。年度末までに特例公債法案が成立して赤字国債が発行できるようになれば、財務省証券はそれで償還すればよいからです。

必要額が20兆円を超えるなら、補正予算で限度額を引き上げることが考えられます。予算なら、衆院で政権与党が多数を維持している限り、参院で否決されても成立します。


●民主主義の基本ルールに立ち返れ。

しかしながら、財政当局は、財務省証券の発行についてはそのような解釈はしていないようです。特例公債発行法案が未成立の状態では、財務省証券を償還するのに必要な歳入が確保されているとはいえず、その年度の歳入で償還しなければならない財務省証券を発行するのは、事実上の財政法違反であるとの解釈です。

その解釈の是非については異論もあるでしょう。ですが、少なくともそれを前提とする限り、特例公債発行法案が成立していない以上、その分の財源はなく、それに見合う予算は執行できないことになります。なんとか凌げるのは11月末までだということで、それまでに法案を成立させないと政府は機能しなくなり、アウトだということになるわけです。

そうなれば政権は行き詰まるから、解散総選挙を求める自民党など野党は、同法案の成立に協力する前提は衆院解散だと政権与党に迫ってきました。

予算は衆院だけで成立できますが、法案は参院で過半数で可決されなければ成立しないため、「衆参ねじれ」のもとで参院では多数を占める野党にとって、特例公債法案は毎年のように、政権を追い詰める強力な武器になっているというわけです。

しかし、よく考えなければならないのは、平成24年度予算はすでに、国会の多数決のルールによって成立したものであるということです。民主主義のルールとは、多数決で決められたことには皆が従うということです。それは民主主義というシステムの根幹をなすルールです。たとえ今年度予算の審議の際に、その予算に反対した野党であっても、ルールに従って多数決で成立したものである以上、それが平成24年度の国の予算であるということには従わなければ、民主主義とはいえないはずです。

38兆円の赤字国債の発行は、決められた予算に盛り込まれた内容です。しかも、その財源としての規模からして、実際に赤字国債が発行できないという事態は、予算の執行を不可能にするものです。つまり、特例公債発行法案の成立を妨げるという行為は、ルールに従って決められた予算そのものを否定する行為だということになります。

特例公債発行法案を成立させることは、多数決で予算が成立したことの自動的な帰結です。たとえ賛成できない予算であっても、ルールにのっとって決められたものである以上、その円滑な執行に協力するのがフェアな民主主義ではないでしょうか。


●ルールの運営に必要なのは、それを運営する人々の志。

 社会の基本はルールを守ることにあります。そして、ルールとは法令や規則に明文化されたものだけに限りません。そもそもルールとは、社会秩序の維持や制度の運営を的確たらしめるための手段です。手段には目的があるのであり、明文化されたルールであれ、暗黙のルールであれ、ルールというものは一定の目的に奉仕するものです。その本旨を忘れたルールの運用は、ときに目的から逸脱した結果をもたらすことになります。

ルールをその本来の目的に照らして運用するのが良識であり、モラルであって、およそすべての社会システムにおいて問われているのは、その部分における志の高さだと思います。一国の民主主義の質が問われるのも、この部分ではないでしょうか。

 特例公債発行法案とともに衆院解散の取引材料になってきた選挙制度改革法案も例外ではありません。「1票の格差」が違憲であるとの最高裁判決が出ていることについて、「首相の解散権が制約されるものではない」、「法案さえ成立させれば、その努力を多として、選挙結果に対して無効判決は出さないだろう」で済む問題ではないと考えます。

違憲状態での総選挙の断行は、司法の判断を立法府が軽視するものにほかなりません。法律が成立しても、新しい区割りのもとで実際に選挙ができるようになるためには、周知期間も含め、3か月程度は要するとされているのです。

そうした背景を鑑みて、いくら国会が国権の最高機関だとしても、「年内解散総選挙」を求める行為は国会のおごりである、との批判は免れないのではないでしょうか。これは三権分立の基本原則を軽視するという意味で、やはり民主主義のルールを守るためのモラルを欠いた行為と言わざるを得ません。


●衆院解散は国益上の大義に基づいて

日本では現在、領土領海をめぐって提起された外交・安全保障の立て直し、消費増税までに実現すべきデフレ脱却など、国会が取り組むべき喫緊の課題が山積しています。特例公債法案の可決と1票の格差是正は、与野党とも政局とは無関係に、政界全体の責務として果たすべきです。その上で、もし解散総選挙をするなら、国政の大課題について各政党が示す国益の内容を明らかにし、国民の信を問うのが憲政の本道だと思います。

「政権交代」が自己目的化した前回の総選挙が象徴するように、政治は本来競い合うべきものは何であるかを忘れていると思います。票ほしさに国民受けを狙った実行不可能なマニフェストであっても、それで政権さえ取れれば良いという風潮は、国民の政治不信を決定的なものにしました。民主党政権は何よりもそのことに責任をとらねばなりません。

また、解散を求める野党も、与党への批判を超えて、自ら掲げる国益上の大義を明らかにしてほしいと思います。

例えば、そろそろ自主憲法を総選挙の最大の争点とする時期なのではないでしょうか。そのための離合集散や駆け引きを見せてくれる政界劇場なら、大歓迎です。

日本の政治にいま必要なのは、党利党略を超えた国益や大義に従った行動です。解散をめぐる攻防は、国益という大義の筋書きを競う形での「攻防」にしてほしいものです。

それができないなら、「国家国民のために」などという言葉を政治家が使うのは、やめにしてもらいたいものです。


●大阪「21世紀をまなぶ会」10月5日(金)では…

10月5日(金)に大阪で開催した「21世紀をまなぶ会」では、いま日本の政治が競い合うべき国益とは何なのかという観点から、消費税、原発、TPP、地方分権といった、これまで取り上げたテーマに加え、自主憲法についても論じてみました。

その素材として、日本維新の会が出した「維新八策」と、たちあがれ日本の「政策宣言24、日本力倍増」を取り上げ、比較してみました。

両党は政策面で一致しないという見方もありますが、いま重要なのは、個別の政策の表面的な相違ではなく、個別政策を超えて、それらの根底にある基本的なスタンスだろうと思います。また、スタンスや立場が違うように見えても、より高い次元から「新結合」を図ることで、それぞれの基本的な考え方がより良く活かされる道も見えてくる可能があります。

特に、「維新八策」については非現実的という批判がありますが、それは、そのかなりの部分が憲法改正を伴う長期的な方向性を示すものであるからだという側面があります。

ただ、例えば首相公選制の是非はさておいて、「維新八策」も「憲法改正発議要件を3分の2から2分の1へ」としているように、いまの日本の政治に問われている最大のテーマである憲法について、まずは「変えられる憲法」にするという点だけでも、政党間で連携を組むことは考えられると思います。

日本を希望あふれる国にする原点は、やはり、日本の国民自らが国家というものに向き合って、自国のあり方、将来像を主体的に考える「思考の維新」にあるからです。その先に、日本の未来を競い合い、有権者に創造的な選択肢を提示できる政治を創っていく。

憲法改正の議論がようやくタブーではなくなってきた昨今、本来は保守の目的(自民党の結党目的)であったこのテーマについて、この際、次の国政選挙の最大の争点に据えるぐらいのことを考えてこそ、政界全体が国民からの信を取り戻すことができるのではないでしょうか。

そのために「小異を捨てて大同につく」覚悟がどこまでできるのか。「第三極」が乱立するこんにち、それが人気取り政治を助長することなく、「決められる政治」へと意味ある前進につながるためには、憲法を軸とした「国益」をめぐる国政選挙となることが望まれるのではないかと思います。

今回の「21世紀をまなぶ会」も、参加者の皆さん一人一人にご意見を求めながら、一部はディスカッション形式で進められました。


●第15回以降のスケジュール

第15回以降も、松田まなぶが描く日本の希望について語ってみたいと思います。

第15回は、2012年11月2日(金)18:30より「『財務省』の正体。〜中央集権の打破と国家への誇り…真の『維新』を考える〜」をテーマに開催する予定です。

会場は

大阪市北区中崎西4−3−32 タカ大阪梅田ビル5階の松田まなぶ事務所

です。

お問合せ先:「21世紀をまなぶ会」Tel:06-6375-3331  Fax:06-6375-3341

Eメール: matsuda-pri@kne.biglobe.ne.jp

経済講演は、その他、色々な機会に行っていきたいと考えています。
 日本再建に向けて、できるだけ多くの方々とともに、日本の本質的な課題は何かを考え、その解決の道を模索していきたいと思っております。