松田まなぶ|前衆議院議員 東京大学大学院客員教授 松田政策研究所代表

論文・コラム詳細

「新しい日本のストーリーに向けて ~ 超高齢社会と地域の『公』 ~」 

月刊「ELDERエルダー」(独立行政法人・高齢・障害者雇用支援機構発行)
2010年5月号

現政権には成長戦略が欠如していると言われる。まずは家計を支援して消費を増やすとの需要サイドに立つ民
主党の考え方に対し、論者たちは、企業の生産や投資を増やさねば雇用も消費も増えないと主張する。需要が先
か供給が先かは経済学の古来からの議論だが、どちらが先かではなく、重要なのは、生産・雇用・消費や投資を
循環させるストーリーであろう。現政権は健康、環境など新たな成長分野を提示しているが、そこに欠けている
ものがあるとすれば、それは成長に向けたストーリーではないか。日本が自国の「物語」を失っていることが、
社会の閉塞感と不確実性を増大させ、成長の停滞をもたらしてきた。

●高齢者たちの物語 だが、日本は骨太なストーリーを世界に先駆けて構築できる位置にある。それが、筆者が
提唱する日本版ニューディール、すなわち国家目標としての「活力ある超高齢社会の運営モデルの構築」に向け
た日本の経済社会のストーリーである。そこに高齢者たちの物語を創り上げる。それが「生産し活動し消費し投
資する高齢者」を生む。
それには、高齢者に対する概念の抜本転換が必要である。高齢世代は日本の個人資産ストックの大半を保有し
ながらも、おカネを使おうとしない。実は、こうした高齢者に対する思い込みが、日本が次の成長局面を切り開
くことを妨げている。消費しない、働かない、活動しない、責任ある立場には就けず、人生の喜びも少ない、そ
っと大事にしてあげるべきなのが高齢者…。しかし、今後長期にわたって、日本では高齢者の人口は増え、若年
世代の人口は減っていく。もし高齢世代がそんな高齢者たちの世代だったら、日本は間違いなく衰亡するし、若
年世代はこのような高齢世代を支えていれば破綻するだろう。
新たな社会の建設とは、新たな社会層とそれに属する人間像の創出でもある。そこに人類社会の新たな活動領
域が生み出される。まず、人類そのものが以前とは異なる生物に変わりつつあると考えるべきだ。会社人間リタ
イア後にもう一つ別の長い人生が待っている生物へと。これを人間像そのものの抜本的変化と捉え、そうした新
しい人類に適合した社会を新たに組み立てる。これは、21 世紀に問われる世界的な社会大革命である。その最
前線にいるのが日本だ。人類史上始まって以来の超高齢社会を迎える日本は、この大革命こそを日本のチャンス
として捉えられるかどうかに、国家の命運がかかっている。
激動する世界の大潮流の中で、日本はより小さな遅れた存在になりつつある。様々な面で日本とは比較になら
ないスケールを備えた人口大国・中国は、紆余曲折はあっても、直面する諸困難を乗り越えていくだろう。もう、
これまでの土俵では、日本は中国など新興国とは勝負にならない。21 世紀の人間・社会大革命を先導する国に
なり、そこから別の次元で新たな土俵を築いていくしか日本の道はない。急激な少子高齢化が不可避な日本は、
この人口バランスが著しく悪い社会を活力ある形で運営できるかどうかということに、自国のアジェンダを設定
してみるべきだ。そこでソリューションの組み立てに成功すれば、日本はこの大革命の最先端に立つ。それによ
って得られる優位性は、恐らく、21 世紀の半ばまで、日本の存在を築くだろう。
当面は世界の成長センターである東アジアも、その多くの国で既に社会の高齢化が始まろうとしている。日本
版ニューディールを通して生み出される新たな価値や活動領域、人間の生き方やライフスタイルがアジアのモデ
ルになることで、日本が生み出す内需分野がアジアにも同じような需要を創出することにつながる。既に、日本
が圧倒的な国際的影響力を持つ大衆文化の分野では、アニメなどに登場するキャラクターや日本人の生活感覚、
感性がそのまま魅力となって、世界に普遍的に受け入れられている。これは何も、日本が外に向かって意図的に
影響力を行使しようとした結果ではない。日本人が国内で創出した価値が世界的な影響力を自然に獲得してきた
事例である。
こうした influence のあり方が日本に成長と雇用を生む。日本は自らのモデルを押し付ける覇権国にはなれな
い大国である。そのような日本が世界に対して発揮するリーダーシップとは、①世界共通の課題に対し解決すべ
きアジェンダを設定する「アジェンダ・シェイピング・リーダーシップ」、②そのソリューションを世界に提示
する「モデル・ビルディング・リーダーシップ」、③それが世界に参考とされ、受け入れられていく過程で、課
題解決の先駆者として自然と発揮されることになる「コラボレーション・リーダーシップ」であろう。日本自ら
の課題解決を通じて生み出される国内の内需がそのまま海外マーケットになるという意味での「内需の外需化」
こそが、成長戦略の柱になる。重要なのは、その最前線にあるのが日本の地域社会であり、そこで高齢者たちが
いかなる人生の営みを築いていくかに、世界が求めるフロンティア開拓があるということである。

●生産し活動し消費し投資する高齢者 確かに、高齢者は若年世代に比べ、体力、記憶力、持久力、新たなもの
に対する適応力などの能力(生産性)でも、様々な欲望面(需要やマーケットの創出力)でも、経済活力への貢
献力は小さいかも知れない。しかし、彼らには、様々な領域での経験や知の蓄積があり、判断力や創造性も若年
世代を上回る面がある。高齢世代の特徴に即し、彼らの潜在力をうまく開花させるような経済社会システムを、
現役世代中心のそれとは別の考え方で組み立て、日本全体をそれらのデュアルシステムとして相互に有機的に結
合させれば、新たな地平が人類社会に広がることだろう。
幸いなことに、日本は団塊の世代がリタイアリー化する局面にある。彼らは戦後日本の各時代において社会経
済全体のモードをリードしてきた活力ある世代だ。彼らがその活力を振り向ける対象を、新たなシニア社会の構
築という課題の下に創造する。その場は、企業社会にも政府部門にもない。むしろ、官でも民でもない「公」の
世界、非営利セクターこそがその場になろう。このセクターは、経験を積み重ね、自らの価値観のありようや生
き方の照準をどこに合わせるかについて、ある程度見極めがつけられた高齢者たちにとっては、適合する面の多
いシステムではないか。家族を養い、子供世代に対する責任を負った現役世代は、自らが選択する価値よりも、
組織や職業の論理を優先せざるを得ず、その見返りとして、「私」の利益を求めざるを得ない。そうした束縛か
ら解放された高齢世代は、「私」を示すとされる「ム」を「八」の字で外に開くことで、「公」へと向かい、「私」
の利を超えた価値を求めることができやすい位置にある。
生産し活動し消費し投資する高齢者を生み出すためには、高齢者を付加価値生産に参加させる新たな舞台を第
三の分野として社会に組み立てる必要がある。フローの所得と生き甲斐を与えることで、彼らはその資産ストッ
クをフローの支出に回し、それが日本経済の成長の源泉になる。「投資する高齢者」の投資先も、この分野だ。
それは利回りや金銭的見返りを求める投資では必ずしもなく、むしろ、自らの健康や安心、自らが社会的価値と
認める対象などに資金を投じることで、直接的に価値を実現、享受することを意図した資金の拠出である。それ
は寄付だけでなく、出資や信託、筆者が提唱するパブリック・エクイティーや社会投資ファンドなども考えられ
る。

●新たな社会の設計思想 こうした第三分野の組み立ては、日本の全体システムを持続可能なそれに再設計する
営みと一体で進めなければ実現しない。そのための設計思想として次の 3 つが挙げられる。
第一に、「複数モデル・プラットフォーム型」システムだ。これは、市場競争原理一辺倒でもなく、公平・平
等を重視する分配型モデル一辺倒でもない、日本人の潜在パワーを発揮させるための複合的なシステム設計であ
る。異なる論理で設計・運営される複数のモデルをより大きなプラットフォームの下にシステマティックに組み
合わせ、ネットワーク化し、エンドユーザーに価値やクォリティーを保証する視点でシステム・コンプレックス
を組成・運営する。これにより、全体としてより高い効率と効果、新しい価値を創出できる。地域にも、国の機
関、自治体、民間営利企業、公益法人、中間法人、NPO、コミュニティー、個人等々、様々な異種のモデルが
並存している。これらを組み合わせ、「官 vs 民」などの対立軸を超えて持続可能なシステムを組み立てる。
第二の設計思想は、人々の生き甲斐や価値規範の場を、従来の縦割りの産業企業社会から地域に回帰させるこ
とである。リタイア後の人生では、地域との関わりが強まるのは必然的な流れである。社会の高齢化はそのよう
な人々を増やすことになる。そこにおいて、今まで会社のために力を尽くしてきた自らのあり方を、自分の属す
る地域のために力を尽くすあり方へと転換し、それを生き甲斐の軸にしていく。戦前の日本には地域への思いが
人々の中に息づいていたが、この考えをもう一度取り戻し、地域に回帰する。
多様で豊かな地域社会の創造が人々の新しい価値規範となる。日本全体としては、現役世代中心の A システム
…プロフェッショナルたちによる国際競争+日本型終身雇用システムの世界と、高齢世代も含めた市民が支える
B システム…各地域で共同体と市民社会が機能する世界、との 2 つから成るデュアルシステムが形成される。B
システムでは地域の自然共同体だけでなく、価値追求の場として自覚的に選択する共同体、すなわち、医療、福
祉、食、環境など各分野で地域ごとに価値を創出し提供する「公」が展開し、それが重層的に地域という一つの
大きな「公」を形成して、人々の価値規範の中軸となる。
三番目は、「民が支える公」という設計思想である。いわゆる「戦後システム」の下で、パブリック、「公」は
官が支えるものとの思い込みが定着したが、日本の社会にも、かつては地域共同体が機能し、何も公共的なもの
は役所がやらなくてもいい、自分たちでやるという気概があふれていた。パブリックな価値について、民が自ら
の価値選択で担い、実現する部分を広げていく。特に 21 世紀は価値観が多様化する知識社会である。多数決原
理の民主主義だけでは拾いきれない多様な価値を実現したいという人々の欲求は強まる一方であろう。この社会
を官・民・公の三つの原理、いわゆる官 vs 民という対立軸ではなく、官も民も共に公、パブリックを支えるシ
ステムとして組み立て直す必要がある。
民が自らの選択で「公」を支え、そこに、市場とは異なる論理で価値を創造していく営みが、次の社会の設計
として不可欠だ。そのプラットフォームが市民社会であり、そこで生まれた価値のうち、ビジネス化できるもの
は市場の世界に入り、民主政治(官)が拾い上げたものは制度化されていく。つまり、日本の新たなシステム設
計は、「官」、「民」、「公」の水平的な組み合わせではなく、「市民社会」を基盤に置いた「公」を上位概念に据え、
「公」と「官」、「公」と「民」との間にそれぞれ、後者が前者を支えるとともに、前者が生み出す価値が後者に
還元・具現化されていくという「価値創出の循環システム」となる。

●資産ストックと「公」のエコノミクス これら 3 つの設計思想を「生産し消費し投資する活動的な高齢者」の
組み立てと結びつければ、地域における公の形成ということになる。それは政府でも市場経済でもない新たな活
動領域であり、根源的な価値創出のレベルに関わる世界だ。資本主義は、それがビジネス化された形態に変換さ
れ得た時にしかそれを「価値」化できない。民主主義は、多数決で合意形成されなければそれを社会的価値とし
て制度化できない。価値観の多様化した知識社会では、民主主義(選挙という投票)も資本主義(価格づけとい
う投票)も拾い得ない多様な価値に対する「3 つ目の投票」(寄付、資金拠出、参加など)の機会を人々に与える
必要がある。それが「資産ストック・フロー化」戦略と結びつくところに、地域の「公」を核にした「ニューエ
コノミー」がある。
すなわち、日本経済の問題は、巨額の資産ストックを支出へとフロー化して、国内で有効なおカネの循環を生
み出すことに失敗していることにある。高齢者だけでなく、国民の多くが将来不安などの不確実性や、おカネの
使途についてのイメージ不足から、おカネを使わず、貯め込んでいる。超長寿社会の中で、90 歳前後の超高齢
者から、資産の使い道がなく何歳まで生きるか分からない不安を抱えた 60 歳過ぎの高齢世代へと相続された資
産が、資産の形のままでグルグルと回っている。21 世紀型の価値の核に即して、凍結した金融資産から喜んで
おカネを出させるバリューを組み立てることが課題だ。価値観が多様化した社会では、官のシステムを通じた一
律の分配モデルに代わって、「公」の価値を個々の価値選択に基づく「選択の対象」と捉えなおし、それを通じ
て「公」の目的に個人資産を振り向けるモデルが有効なソリューションになる。それが、政治(多数決原理)も
マーケット(利潤原理)も扱えない多様な価値のフロンティアを、この社会に拓くことになる。
この「公」の課題を達成すべく、NPO など非営利組織では、社会に価値を生むイノベーションが問われるし、
非営利セクターを成り立たせるべく、税制などの寄付促進システムの整備、あるいは、利回りではなく価値実現
を目的とした投資の仕組みの組み立てが求められる。その実現に向けて、まず地域で具体的なモデルを構築する
ことが有効だろう。人々にとって、最も価値がみえやすいのが、自らが住み直接の関わりを持つ地域社会だから
だ。
公のエコノミクスの一つは寄付だが、日本人は寄付をしない国民だとされる。本当にそうだろうか。明治から
大正にかけて、日本では地域を中心とした経済システムが機能していたが、地域を支えていたのは各地域の名望
家たちだった。地域のことは自分たちに任せろという気概がそこにはあった。戦前の日本が今の米国よりも資産
の格差が大きかったこともあるが、彼らのチャリティー精神が地域社会を支えていた。戦後は資産の平等化が進
み、官が公を独占的に担う「戦後システム」の中で寄付の精神は衰退したが、日本の地域社会が崩壊したことも
大きな原因だろう。先の第二の設計思想に即して地域コミュニティを復活させ、あるいは特定の価値をミッショ
ンとする 21 世紀型のコミュニティーへの流れを強化していけば、かつてのような寄付の精神も復活する可能性
がないとはいえない。
実際に、日本人にも寄付動機を持つ人は少なくない。例えば、退院に際して感謝の気持ちから病院に寄付した
いとの気持ちを持つ人は多いが、その多くが顕在化しないままになっている。きっかけさえ与えられれば、公へ
のコントリビューションに対する日本人の DNA が表に出てくるのではないか。米国でも、何も努力せず寄付が
集まるわけではない。多額の寄付を集めることで知られるハーバード大学が寄付を集めるタクティクスを熱心に
研究し、寄付者の心をくすぐる工夫を様々に凝らしていることはよく知られている。日本では、そのような工夫
が必ずしも十分ではないと指摘されている。
既に、非営利セクターの分野で「エクセレント NPO」という概念が言論 NPO を中心に打ち出されているよう
に、寄付動機を顕在化させるような価値の創出に向けて絶えざる経営革新を行うことに、公領域における競争の
基軸が据えられようとしている。これは、価格競争を軸とする市場システムとは異なる論理のシステムだ。それ
をサポートすべく、政府も寄付金の税額控除を拡充しようとしている。これによって国民は、税の一部を、自ら
が価値と認める対象への寄付に振り替えることができることになる。「税から寄付へ」は、「コストからバリュー
へ」の概念転換でもある。それは、今後増大する公的負担の問題を緩和するだろう。公的価値を、多数決による
一律的な価値判断で決められる最低保証部分(ナショナルミニマム)と、国民の多様な価値選択で担う部分に分け、
前者は税「負担」で、後者は寄付でそれぞれ担うデュアルシステムに向けて、日本も動き始めている。
価値創造の競争は NPO に限られない。地域もそうだ。既に、ふるさと納税が税額控除の制度として存在する
が、そこからさらに一歩進め、多くの人々が評価し、選択する価値を提示・創出する地域は、エクセレントな地
域プラットフォームと評価されることになろう。

●必要なのは地域における「公」のモデル さて、公を支えるエコノミクスは何もおカネだけではない。日本に
は別の意味の莫大な個人「資産」ストックが蓄積されている。それは日本の「民」が持つ潜在パワーだ。戦後の
あらゆる経験知を蓄積した団塊の世代、新たな帰属の場を求め活力あふれる中高年主婦層、知的レベルが高く勤
勉と協働を尊ぶ層の厚い中間層、成熟社会において形成された各人・各分野における様々な蓄積(技術、情報、
匠、智恵やノウハウなど)は、日本が活かせる圧倒的な強さだ。これを蘇生し、ネットワーク化して多様な価値
の創出に引き出す。そこでのキーワードは「参加」だ。
日本の新たな雇用創出のフロンティアは非営利組織など「公」領域にある。それは価格競争や利潤追求によっ
てではなく、多くの人々が価値として認めるかどうかでエコノミクスが確立する領域だ。参加者は賃金ではなく、
そのような価値それ自体を求めて参加する人々だから、その雇用形態は柔軟に設計できるはずだ。週何日の労働
でも良いし、活動を成り立たせるためなら低い報酬でも満足する人々だろう。だからこそ、雇用機会も増えるし、
リタイア後の高齢者のライフスタイルにも適合する。
以上のように、高齢者雇用を生み出す新たな社会運営モデルを構築する営みは、日本の社会の様々な領域に
「公」を生み出し、21 世紀型の「市民社会」を設計することと表裏一体のものである。この動きを具現化する
最も現実的な場が、「地域」という「公」の時空である。今や、どの日本人にも共通に待っているのが、企業・
産業の組織社会から卒業したあとの長い別の人生だ。そこにおいて、人々が何に価値の軸を置くのか。それに答
を見出しやすい場が「地域」である。自らが何らかの価値の創出に直接携わり、それが自己利益も自己責任をも
超えた「責任」と自らの存在価値を見出すことにつながる場こそを、ポスト産業社会を迎えた日本人は希求して
いる。それがあってこそ、この社会の停滞をもたらしている「不確実性」の問題が発展的に解消され、日本人や
日本の社会が経済成長の次の豊かさに向けて、着実な一歩を力強く踏み出せるようになれる。そのような動きを
引き出し、組み立てていくことに、「地域経営」の課題がある。
日本の改革もそろそろ議論の局面から実践の局面、組み立てのフェーズに入るべきときだろう。もはや議論よ
りも、行動に向けたデザインが重要だ。それを基に、具体的なモデルを実際に構築し、それを社会に広く発信し
ていく営みが求められる。成功事例を見せられてこそ、人々の行動が促され、日本社会全体に方向感が生まれる
ことで、この国が次のステージへと飛躍できる。そのようなモデル構築の実践の場となるのも地域社会である。

●事例としての農業シニアリビングタウン
そのようなモデルとして、筆者は人口集積地に近く農業が強みのあ
る地域において、「食」の価値をテーマに地域アイデンティティを形成することで、近隣の集積地の活力を活用
し、リタイア後の高齢者を中心にヒトと生産活動と雇用と新たな生活を呼び込む「タウン構想」を実現しようと
している。価値創出のイノベーションは常に多様性から生まれる。それは様々な異質の要素を有機的に結びつけ、
新たな地平へとバージョンアップさせる『新結合』である。そこでの主役は元気なシニアだ。それは、多様な人
生を生きてきた人々の具有する様々な経験・知識・知恵・情報・技術・ノウハウ・生活体験・趣味趣向・嗜好・
感性等々を相互に、そして、地域の資源と「農」の体験の進化から得られる要素と結び付けることで、『食』と
いう価値に向けた多彩な「新結合」が期待できるからである。
この構想は、①自治体が保有する広大な遊休工業用地に植物工場を展開し、リタイア後の元気なシニアを近隣
大都市から呼び込み、高齢者でも可能な水耕栽培農業を展開する。②在来の農地での農業については、増大する
耕作放棄地を農協が直接管理し、市民農園も含めやる気のある担い手を呼び込み、創意工夫が報われる農業へと
生産・流通革命を推進(農協に新たな活動領域を創出)。③これら両者をミネラル豊富な食材の生産方式、太陽
熱やバイオなどの循環型エネルギー、食の保存や高齢者居住にも適合した特殊建材などの要素技術でサポート。
④NPO を設立し、食の価値を切り口に、こうした健康、環境、人間、参加といった 21 世紀型の「価値の核」を
同時に目指す地域アイデンティティーを発信、ヒトや企業や知恵などを地域に呼び込み、右の要素技術で食の生
産をサポート、参入する各主体や地元との間でネットワーク化を推進。⑤地元の系統金融などをシーズマネーと
して資金面で食の事業展開を支える基金を設立、この地域やその生み出す食の価値に思い入れのある人々のマネ
ーの受け皿となる市民ファンドへと発展。⑥自治体など官はこのプラットフォーム全体のサポート役となり、地
域外から企業などに加え、大学や研究機関など様々な主体がその事業機会や役割分担に応じて幅広く参入。
この構想は、官(自治体等)や民(民間企業や個人)農協や基金、あるいは NPO などの公(市民社会)など、
異なる論理で動く様々な主体が参加し、地域そのものがまさに、それらを構成要素として有機的に結合する「複
数モデル・プラットフォーム型」となるものだ。その全体が特定の価値創出をテーマとした『公』でもある。今
や、地域として日本や世界に対していかなる価値を創出するのかを明確に提示できない地域は、衰退が待つのみ
である。価値共同体としての地域の「公」を組み立てることで初めて、地域再生の良循環に向けたエコノミクス
が確立し、そこに多様な働き方と高齢者を活用するチャンスが生まれ、持続可能な高齢者雇用が実現する。
この構想の先に待っているのが、シニア共同体である。グローバルな競争型世界になればなるほど、個人に等
しくセーフティーネットを提供する仕組みが必要になる。その存在が競争社会を生きる現役世代の人々のリスク
テイクを促すことにもなる。日本は人口減少社会の中で一人当たり生産性を高めなければならないのであるから、
同じ共同体型セーフティーネットでも、活力ある、付加価値生産の伴ったそれである必要がある。そこに現役時
代の知識経験やスキルを活かす。何事にも作用と反作用がある。超高齢社会への流れの反作用として対をなすよ
うに浮上するのが、「年齢不詳社会」だ。高齢者が若者と同じく現役で活動しているということがあって何らお
かしくない社会がそこにはある。

●シニアライフに向けて「ひとり二役三役時代」 もうひとつのコンセプトが「ひとり二役、三役時代」だ。一
人当たりの生産性向上が強く求められる社会なのだから、能力と時間と意欲のある人は何もひとり一役である必
要はない。特に価値観が多様化した社会では、人々がカイシャ人間として以外に追求したい価値も多様に生まれ
てくる。現役時代はホビーであっても、リタイア後はその活動が本格化する。現役時代のセカンドライフの場と
して、「2箇所居住」が進められているが、右の農業の構想も、週末にホビー型の農業を行うために地域を訪れ
る人々を受け入れるところからスタートしても良い。小さな週末用の別荘から始まって、気に入れば、リタイア
後に生活の場を移せるような住宅に入って定住し、より本格的な農業に移行していく流れも想定できる。
したがって、ここを訪れ、あるいは定住する人々には、希望するライフスタイルに応じて、働き方に色々なバ
リエーションをつける。現役世代には「一人二役」の場を提供する。リタイア後に定住した高齢者には、高齢者
だからこそ、彼らの様々なニーズに合った働き方、雇用のされ方を構築できる。働くのは1日何時間でも、週何
日でも、月何週でも良い。農業生産で得られる収入も、出来高制もあれば時間給もあり、自ら経営に当たること
も考えられる。最初は菜園付住宅に住んで土の農業に親しみつつ植物工場や農園に通うスタイルから入っても、
元気でやる気がある人なら、いずれプロとして後継者不足の地元の農業を支える新たな担い手へとステップアッ
プしていくことが考えられよう。
シニア共同体のエコノミクスは何も農業に限られない。社会に何らかのバリューを創造する付加価値生産のテ
ーマをみつけられれば、それに応じて共同体立地の選択肢は広がるし、立地そのものが不要なケースもあろう。
そのためには、リタイア組たちが特定のテーマでの活動目的でつながり、彼らの蓄積を活かして企業や組織社会
では拾われない価値創出に携わることでコミュニティーとしての関係性を形成すればよい。既存の住宅地域も高
齢化に伴うゴーストタウン化をこれによって免れることになる。
さて、こうしたシニアライフや高齢者雇用の実現は、組織人間たる現役世代に対しても、その働き方や雇用の
あり方に変革を迫ることになる。単なるカイシャ人間、組織人間としての自分しかない人間であっては、リタイ
ア後に新たな人生フロンティアを拓く可能性の幅は狭い。現役時代にあっても準備が必要だ。その受皿となる場
としても、市民社会や非営利組織など「公」セクターを拡充することは喫緊の課題なのである。まさに「ひとり
二役三役時代」の人間像を確立し、それを社会システムとしてサポートすべきだろう。

●現役世代の組織社会にも問われる社会変革 かつて、ドラッカーが「流動化する知識ワーカー」という概念を
提起したように、専門知識が付加価値の主要な源泉となる知識社会では、その担い手となる人々は企業などの組
織への縦の帰属意識よりも、自らの可能性の実現や横の結びつきを求めることになる。自らを活かす場を求めて
漂流する彼らを社会につなぐコミュニティーとして機能するのが非営利組織であり、その発展が米国の発展を体
現する中心的な存在だというのがドラッカーの指摘だった。
日本でもこの潮流は起こり始めている。それは、新たな価値創出に生き甲斐や人生の意味、自己実現や社会貢
献、人とのつながりを求めようとする新しい社会の流れである。それが市民社会という大きな広がりと層の厚さ
へと展開する状況に日本も入ってきている。
特に、日本に問われているのは、自ら世界に価値をプロデュースする国になれるかどうかである。その日本で
各分野のインテリ階層の課題は、従来の組織特殊的能力形成(ゼネラリスト)や専門分野特殊的能力形成(スペ
シャリスト)を超えた、真の「プロフェッショナル」への脱皮である。プロフェッショナルとは、組織やそれぞ
れの分野を超えたところに自らのモチベーションを有する人材である。元来、Profess とは、神の託宣を述べる
ことであり、神の言葉を伝える牧師を教育する立場として、最初に Professor(教授)がプロフェッショナルと
認められ、それがやがて、医者(神に代わって治療を施す者)や法律家(神に代わって裁く者)といった形で、
そう呼ばれる人々が拡大していったものだ。いずれも、神のミッションを遂行する者であり、そこがスペシャリ
ストとの違いである。
つまり、プロフェッショナルとは、特定の組織や分野を超えた、より普遍的で幅広い精神的、知的基盤に立っ
て形成される志をモチベーションとして専門分野の価値を実現していく人材集団である。21 世紀型社会の基本
的なあり方の一つは、知識社会における「知」をテーマとする人と人との結びつきに求められる。人とのつなが
りを求めるのは人間の本性であり、特に知識社会はその欲求が高まる社会であり、高い付加価値がそこから生ま
れる社会でもある。たとえ職務専念義務などに縛られる公務員であっても、「公」の価値実現に向けて、「官」で
ある自らとは別の、「公」の成員(市民)としての自らを持つべき時代だ。「ひとり二役三役」時代とは、「官」
も「民」もそれぞれの本業とは別の「公」を持つことだと置き換えることができる。
日本の組織社会は、その成員に対し、「公」への参加にもっと寛大であるべきだろう。むしろ、「公」への参加
を人事上の評価につなげてもよいのではないか。企業社会では、一部の輸出産業を除くと、事務職や非製造業な
ど日本の時間当たり労働生産性は全般的に低い。内部の会議資料作りに凝る、人間関係への余計な気遣い、付き
合い残業…これらをやめ、生産性を上げて超勤を減らし、現役世代が早い時期から「公」に参加できる時間的ゆ
とりを生み出す余地は十分にある。子育て休暇だけでなく、非営利組織や地域活動のための休暇制度も広く仕組
むべきだ。
組織本位制社会では、人と人を結びつけるテーマは酒かゴルフだったかも知れないが、知識社会においては、
プロフェッショナルたちはプロフェッショナルとして人と結びつく動機を自ら持つことになる。公務員も、組織
の外側により普遍的な次元でモチベーションを持つプロフェッショナルと化すれば、自らの目指す価値実現やキ
ャリア形成という動機から「公」への参加が促されるはずだ。それを通じた人材流動化こそが、「天下り」の問
題の最終的な解決にもなる。
「天下り」は官だけでなく、大企業など民でも行われてきた慣行であり、それは終身雇用制+年功賃金制の下
で、人材の獲得やその新陳代謝、過度な人件費負担の回避のために必要な仕組みでもあった。だが、それが前提
としていた右肩上がり経済が終焉する一方で、超高齢社会という新たな課題に日本は直面した。今後とも終身雇
用制という日本のメリットを維持できたとしても、高齢者雇用に向けたソリューションは定年の延長など、組織
社会の内側には存在しない。
高齢者、現役世代とともに、価値の創出を軸にした新たな人間像を確立し、それをサポートする社会へと全体
設計を横串横断的に組み替えるしか課題解決の道はないのである。そのためには、活力ある超高齢社会の運営モ
デルの構築を新たな国家目標のテーマに据えることに向けて、国民合意を形成することが何よりも求められる。

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