松田まなぶ|前衆議院議員 東京大学大学院客員教授 松田政策研究所代表

論文・コラム詳細

「医療財源システムの設計とパブリックエクイティの提案 ~ 医療の崩壊に対する解決策 ~」

貝塚啓明・財務省財務総合政策研究所[編著]「医療制度改革の研究-持続可能な制度の構築に向けて-」(中央経済社2010年3月)に掲載

●医療システムへの財源投入は避けて通れない課題
医療システムの持続可能性の議論に当たっては、医療の財源システムの在り方を検討することは避けて通れな
い課題である。現に、「医療崩壊」と言われる現象の多くの部分が医療の財源不足に起因している。問題解決に
当たって医療支出の効率化努力を続けることは当然としても、医療の現状は、その論理だけで医療システムの経
済的なつじつまを将来にわたって合わせていくことが困難であることを示している。それは多くの人々が実感す
るところであろう。
確かに、医療システムには資源配分の改善の余地が大いにある。しかし、社会の高齢化の進展に伴う医療ニー
ズの急激な増大や、医療技術の進歩とともに、国民に先進国にふさわしい医療水準を保障するために必要な国民
総医療費は、経済成長率を上回るテンポで増大していくことは、各方面から指摘されてきたことである。最近に
なってようやく、「偏在」ではないマクロ的な意味での医師不足問題が正面から認知され、時の政権も医師の増
員目標を提示するようになったが、医師不足の次の問題として、日本が他国に比べて大幅に不足しているコメデ
ィカルをどうするかという問題も待っている。これには医師とはケタ違いのおカネが必要になる。
いずれにしても、医療システムへの財源投入を強化しなければ、世界に冠たる「国民皆保険制度」を現在のよ
うな形で機能させ続けることは困難になり、「すべての国民にあまねく平等な医療サービス」との建前も実質的
に維持できなくなることを、多くの医療関係者が懸念している。
民主党はマニフェストで総医療費の対 GDP 比を OECD 平均まで引き上げるとの明確な目標設定をしたが、こ
れが現実に、日本で長年にわたって続けられてきた医療費抑制政策の大転換につながるかどうかが注目されると
ころである。しかし、現政権が財源の問題から国民の目をそらせている以上、医療問題の抜本的な解決への道は
遠いといわざるを得ない。そして、それ以上に重要な論点となるのが、従来型システムの枠組みのまま、医療の
財源を専ら公的負担の増に求めることが果たして適切あるいは可能かどうかである。
福田政権及び麻生政権の下で、社会保障国民会議が将来の医療の機能強化についてケースごとに、それに必要
な消費税率換算での国民負担増とのセットで選択肢を提示した。しかし、日本の財政状態は、多くの医療関係者
が当然のように前提としているソリューション、すなわち、医療システムへの財源投入を財政に求める形での問
題解決が十分に期待できるような状況にはない。他国と比較して対 GDP 比で群を抜く政府債務残高を抱える日
本の財政システムそれ自体が、その持続可能性を確保するために、膨大な過去の債務処理を必要としているから
だ。加えて、少子化対策や国際貢献を始め、今後必要となる財政ニーズは各分野で高まるのであり、いずれ増税
がなされたとしても、医療システムにそのおカネがどこまで回るかは保証の限りではない。
また、特に他国より少子高齢化の程度が相当きつい日本の場合、「低福祉-低負担か、中福祉-中負担か」と
の選択肢すら成り立たないとされる。他国並みの福祉水準を確保するためには、現役世代一人当たりの負担は他
国より重くならざるを得ないからだ。中福祉を実現するためには高負担が必要だということになる。

●コストからバリューへの転換と3層構造の医療財源システム
このように考えると、そもそも医療システムの財源のすべてを「負担」で賄おうという概念は、もう限界に来
ていると考えたほうがよい。180 度の逆転の発想が必要になっている。それが、医療を「コスト」から、「バリ
ュー」(価値)へと概念転換することである。コストであれば、それはできるだけ削減すべき対象として、その
負担を公平に分かち合う世界になるが、バリューであれば、その効用を求める人々の選択で広がることによって、
大きな付加価値を生み出す世界になる。横山禎徳氏や亀田隆明氏は、国民医療「消」費(価値の効用を享受)やバ
リューの概念を提示しているが、それを医療の財源システムの再設計にまで発展させるところに、医療システム
の持続可能性の解が存在するのではないか。
その際、少なくとも、公的健康保険料や税といった国民負担で賄われている、世界に冠たる日本の国民皆保険
制度は維持することは前提になろう。むしろ、この社会的相互扶助のシステムを維持し今後も十全に機能させる
ために、こうした国民負担以外の懐に新たな財源を求める工夫が必要になっている。それが、「価値」を評価す
るおカネが、まさに価値を享受し、あるいは評価・選択することで、医療システムに財源が入っていくような財
源システムの組み立てである。
ここで重要なのは、そのようにして投入されたおカネが医療システム内において社会的相互扶助に回っていく
ようにシステムを構築することである。それも、広く国民の合意と納得が得られるよう、その姿が見えるように
組み立てられる必要がある。
それは次のように、従来の①に②と③を乗せた 3 層構造として設計されるのではないか。

①国民への最低保障部分(官システム):公平・平等のシビルミニマム保障の世界であり、現行の日本の国民皆
保険制度がこれを担う。財源は公的保険料と税金といった従来の「国民負担」に加え、下記の②や③の世界か
らも、「基金」のような何らかの仕組みを通して財源が充当される。

②健康という価値に価格付けする選択的な医療「消費」(民システム):医療消費(需要面で価値の発掘)や医療
産業(供給側で医療を「経営」の対象化)において、様々なイノベーションが行われ、選択的な医療消費がな
される市場が形成される。これに対する供給者が産業としての医療であり、市場価格の形成を通じて民間資金
が入る。その一定割合が「基金」に回ることで社会的相互扶助の財源を生み出す。
これは、航空産業のような高固定費産業において可能な「ビジネスクラス理論」(高い価格付けによって付
加価値を提供することで入るおカネがエコノミークラスの乗客にも裨益)に基づく考え方である。同じく高固
定費産業である医療の世界においても、相対的に豊かな人々が健康という価値をより多く享受すれば、それ以
外のより多くの人々への医療を充実させることが可能になる。新規の高度な医療技術や設備などを、「使えな
い人がいるから誰にも使わせない」(建前の平等思想)と言うのではなく、「使える人がいるなら使わせること
で、いずれ誰もが使えるようになる」(実質的な平等)という発想も必要だろう。これが助け合いシステムで
あることを「見える化」する工夫が必要である。

③健康という価値に対するボランタリーな資金拠出(民が支える「公」システム):寄付や出資のように、官の
メカニズムを通じずに、直接、民が公に対する資金的裏づけを与えていく世界である。②のような直接的な対
価性は薄いが、健康という価値を評価し、そこにおカネを投じることで、助け合いの精神や社会的満足、ある
いは安心や参加といった価値を享受する世界といえよう。
米国では医療に限らず広く社会を支えているのがドネーションであるが、日本でも、富裕層に限らず、病院
など医療システムに対する寄付動機を持つ人々は少なからず存在するとされる。こうした動機を顕在化させ、
広く促進していくためには、医療システムにおける「公益」を定義して寄付金の税制優遇の対象を拡大したり、
寄付の効果を保証する「基金」などの仕組みを整備することが求められよう。
他方で、こうした「喜捨」以外にも、例えば、一般住民が自らの健康に投資し安心を買うために、地域での
健康という価値保証のために病院等に出資するメカニズムの構築も一考に値するのではないか。その一形態が、
本稿で提案するパブリック・エクイティである。

以上①~③の3層構造は、何も医療に限らず、超高齢社会に向けて日本の各分野で描くべきシステム設計のモ
デルにもなるものと思われる。こうした設計の試みは一種の社会実験であるが、これを、国民にとって差し迫っ
た喫緊の課題である医療システムから始めてみてはどうであろうか。

●資産ストックのフロー化戦略
次の論点は、従来の①に加えるべき②や③の仕組みについて、そこに十分なおカネが投入されるだけの財源が
どこにあるかという問題である。上記の提案は、超高齢社会の運営モデルの構築という先進課題に直面する日本
の「ニューディール」において、一つのメニューとなるものであるが、その経済的な裏づけとなる財源はふんだ
んにある。それは、これまで必ずしも真正面から活用されたことがなかった、日本人が持つ膨大な資産ストック
である。
日本の対外純資産は世界最大の 250 兆円にのぼるが、これは裏返せば、日本が自らの経済的な地位にふさわし
いだけの経済循環を国内で組み立てることに失敗していることを示すものといえよう。しかも、1,400~1,500
兆円とされる個人金融資産の大半は、高齢世代が保有している。ある試算によれば、日本の家計は全体として、
老後に必要な額を 100~150 兆円も上回る金融資産を保有しているとされる。家計の金融資産保有額の年間可処
分所得に対する比率も、日本は他の先進国に比べ相当高い水準となっているとされる。
日本の資産ストックが国内でフローとして回らない理由の一つとして、将来に対する不確実性が挙げられると
ころであるが、そうしたストックが結局は海外に回り、世界のマネー経済を膨張させる一因にもなってきたとす
れば、それを国内のフローに有益な形で引き出していくことは、日本経済全体の最重要課題でもあろう。
そうであれば、資産を保有するシニア世代が「価値」を感じる何かを国内に生み出し、その価値を選択して享
受し、あるいは評価する彼らの資産ストックをフローに引き出していくことで、新たな経済成長を築くことが日
本の経済戦略の一つだということになる。なかでも医療システムの充実は、将来の不確実性の軽減という意味で
も、健康という価値を軸とした新たな消費の振興という意味でも、資産ストックをフロー化させる上で最も有効
な手段といえよう。前記の②や③はその受け皿となるシステムである。それによって引き出されたマネーが、新
たなマーケットの創出と社会的相互扶助に活用されることになる。
日本は、国にはおカネがなく、民間もフローは不足しているが、個人には莫大なストックがあり、しかもそれ
は高齢世代に偏在している状況にある。また、一般庶民も将来不安の中で小金を貯めている。それをどう活用す
るかが、日本のシステム再設計に当たってのポイントではないだろうか。
そのメニューとして、市場経済(民)の側では、資産の使い道についてのイメージが不足している高齢世代に
対して新たな消費分野を創出するためのイノベーションが求められよう。また、政府部門(官)の側では、国民
の将来不安を解消できるような持続可能な社会システムの設計(社会保障や高齢者雇用システムなど)が必要に
なる。さらに、市民社会あるいは地域社会といった「公」の側でも、市場経済における消費活動や選挙における
投票では提供されない多様な価値を創出すべく、その領域を切り拓いていくことが求められる。
以上は、それ自体が広範な論点を含む大きなテーマであり、ここで詳しく論ずる余裕はないが、本稿の提案が
どのような位置づけの下になされているものであるかを示すために、そのアウトラインを述べてみた。以下では、
特に価値観の多様化した 21 世紀型の成熟社会において、資産ストックをフロー化させる上で考えられるエコノ
ミクスについて、一つの選択肢を提示してみたい。それは、「公」の領域に多様な「価値」を創出すべく、それ
を評価する民のストックを「公」に対するエクイティ(持ち分)化するという方策である。

●パブリックエクイティとは何か
カタカナ用語はできるだけ使うべきではないとされるが、本稿で訴えたい内容は、この「パブリックエクイテ
ィ」なる言葉が最もよく伝えてくれる。うまく日本語に直しにくく、それ自体が一定のニュアンスをもって、あ
る範囲の人々には最も理解されやすい言葉は、やはり存在する。
パブリック(Public)といえば、日本が将来を拓く上で最も重要な道が「公」(パブリック)の形成にある。
エクイティ(Equity)といえば、それは、返済が必要な債務(Debt)とは異なり、株式にイメージされるよう
に、資産に対する持ち分を資金拠出者に持たせることで返済不要な資本を調達することである。本稿での提案は、
これらを併せたパブリックエクイティにある。官でも民でもない「公」の世界に価値を組み立て、その価値を評
価する民のおカネが、蓄積された資産や個人の余資から引き出され、その価値の実現をサポートする。
通常、「公」を支えるエコノミクスは寄付、つまり、ドネーションという無償のマネーである。その促進は日
本にとって重要な課題ではあるが、その手段とされる税制上の優遇を講じるためには、その対象となる分野や使
途などに税を減免することについて国民合意が形成できるだけの「公益」を組み立てなければならず、それは必
ずしも容易なことではない。また、今の米国よりも資産保有の格差が大きかったとされる戦前の日本社会では、
例えば地域社会がドネーションによって支えられるといった現象が広くみられたが、戦後の日本社会では、ドネ
ーションに「公」システムのエコノミクスを十分に求められるだけの富の集中はなく、大きな資産格差を前提と
する米国型の解決には限界がある。
そこで、日本型のドネーション促進策として、「証券形態でドネーションを募る」ことは考えられないかとい
う提案が、「パブリックエクイティ」である。
それは事実上の出資である。だが、投資者たちは、必ずしも配当という形での金銭的な見返りは求めない。投
資対象事業が利益を上げたときは配当を出してもよいが、そもそも「公」は利潤を上げることが前提の営みでは
ない。配当を最初から期待しなくても、ドネーションそれ自体に価値があるように組み立てるわけである。
証券形態なら換金できるので、寄付した人がその後、いざカネ繰りが苦しくなっても困らなくてすむという安
心感がある。これであれば、富裕層でなくても寄付ができることになる。多くの人が「公」を支える姿が実現す
る。こうして出資と寄付を結びつけるところに、パブリックエクイティという仕組みを組み立てる。

●おカネを病院に寄託することで安心を買う
そもそも「公」の経済的裏づけであるドネーションは、税の減免を求めて行われる性格のものではない。人々
を無償の資金提供に駆り立てる動機やきっかけは、そうした金銭的メリットとは異なる次元の「価値」として構
築されるべきである。その中から、民主主義のプロセスを経て公益として認定された価値が税の減免等のサポー
トを得ることになるのであって、「公」の価値とは、そうした官による価値判断とは独立の、民による多様な価
値選択の結果として生み出されるものである。そこには、市民社会や地域コミュニティーを構成するひとりひと
りが支える価値創造のフロンティアがある。
では、そうした価値とは何なのか。ここで「価値」の事例として、米国の某有名大学のA病院の例を挙げてみ
たい。ある資産家B氏がA病院との間で、次のような契約を交わす。まず、B氏はA病院に多額の供託金を提供
する。この供託金を取り崩してA病院はB氏に対し生前は徹底的な医療ケアを行う。B氏が亡くなったあと、残
った供託金の部分と、B氏が残した相続財産からA病院に寄付が行われる。
すでに供託金を積み立てた段階から、A病院の収入フローが充実する。B氏の死後は相続財産の寄付で潤う。
それによって、医療の質の高度化と、社会的相互扶助の部分に回す財源確保が可能になる。
多額の寄付ができる資産家でなくても、これと同様の便益をこの病院から受けられるという魅力があれば、き
っと、誰もがこうしたドネーションをしたいと思うだろう。おカネを病院に寄託することで、この人は安心を買
うことができる。だが、後世に残せるほどの資産がなく、将来の生活資金にまったく不安がないわけではない人
の場合、そうしたドネーションは躊躇してしまう。
ここにパブリックエクイティの出番がある。病院側は、広く、その設備資金や運営資金につき、あるいは病院
の設立や増設の段階で、「○○病院エクイティ証券」を発行して資金を募る。これに応じる人は、この病院から
色々な恩典を得たい、あるいは、地域の医療や健康のために自分の貯蓄や資産を活かしたいと思う人たちだろう。
証券を購入すると、そのおカネは病院から返済されず、金利もつかないし、まだ税制上の優遇措置もないかも知
れないが、安心と病院の提供する恩典を享受できる。将来、手元におカネが必要になったときは、この証券を売
却して換金すればいい。
寄付を単なる寄付でなく、一種の出資証券として構成するのは、そうした寄付に富裕者だけでなく、幅広い層
の人々が応じるようにできるためだ。そうであってこそ、「公」だといえる。

●病院が出資者に与えられる恩典とは
病院がこの出資証券を購入・保有する人に与える恩典としては、例えば、診察や入院について優先する、入院
に際しては、エグゼクティブクラスとはいかないまでも、多少は差別化されたサービスを提供するといったこと
が考えられる。
ただ、日本ではすべての人に平等な医療サービスをという考え方が徹底しており、少なくとも公的保険の範囲
の医療行為についての優先的な取扱いには、証券を持たない人からの反発も出るだろう。ほかに緊急度の高い入
院患者がいるときにベッドを優先的に割り当てることにも限界があろう。そうであれば、例えば病院が新たな病
棟を建設する際に、その建設資金に充てた証券を保有する人に対して優先的な入院権を与えることを考えればよ
いのかも知れない。
診療や入院でなくても、優先的な提供が考えられるサービスとしては、例えば、日頃からの検診やドックもあ
るし、最近ではアンチ・エイジング・ドックなど新たな形態での健康チェックサービスもある。個人の健康デー
タを管理分析することで可能になる健康相談や予防診療、あるいは病後のリハビリや体力増強、健康な人をさら
に健康にするサービスなども、今後の医療サービスには求められる。
狭義のいわゆる診療行為以外のところで、健康や安心といった価値を提供するサービスには様々なものが考え
られるはずである。日頃から健康・医療情報を定期的に提供する。それをテーマとする講演会やイベントなども
そうである。
こうしたサービスの提供が優先的に、あるいは安価で利便性の高い形で受けられるだけでも、証券保有者には
大きな魅力だろう。
彼らがその病院を基盤に会員組織を構成してもよい。「○○病院・健康コミュニティークラブ」である。会員
相互の親睦や帰属意識も魅力になる。
さらに、彼らには病院に対するステークホルダーとして、病院経営や、その提供するサービス、あるいは地域
との関わり合い方などについて意見を表明する機会を与えることも考えられよう。これは、証券保有者たちに健
康を切り口にした地域の「公」形成への参加意識をもたらすことになる。それ自体が大きな価値だろう。医師と
患者という、出会ったときから既に対等でない関係から来るメディカルコミュニケーションの問題も解決するこ
とができる。彼らが病院や医療人たちを地域への貢献に引き出していくことができれば、住民にも医療側にとっ
ても大きなメリットになるだろう。

●パブリックエクイティの考え方が引き出す可能性
以上は病院の「エクイティ証券」について思いを巡らせてみたものだが、医療以外の世界でも同様なことが考
えられるだろう。介護や老人福祉、ホスピスもあれば、社会保障の分野以外にも多様な展開が想定できる。人々
が無償資金を喜んで出すと思えるような喜びや満足感、安心感や利便性などの価値を保証すれば、それに応じて
おカネを出す人は多いのではないだろうか。様々な地域再生構想に、こうした資金調達方法を組み込む工夫も考
えられるだろう。
日本全体を、そこから生き甲斐や満足や安心を引き出す人々が資金を拠出して実現される、多様な「公」の価
値形成に向けたプラットフォームのモザイクとしていくことを、国家の次の目標に据えることを考えてもよいの
ではないか。それが超高齢社会の運営モデル構築に向けた「日本版ニューディール」である。
こうした試みはすでに始まっている。
例えば、病院の施設や不動産などの資産について証券化し、その持ち分アセットに対して株主優待のような形
でサービス提供するという企画が動いている。そうしたサービスとしては、臨床医療以外の健康サービス、退院
後サービスなどを市民のトータル健康サービスとして提供することが考えられている。そこでは、管理栄養士や
理学療法士、介護士など、医師や看護師以外のコストと考えられていた職員がサービス提供要員として活用され
る。こうした保険診療以外のサービスの無償あるいは優先提供や、入院などの優先といったサービスの拡大で、
寄付的な出資に対するインセンティブを強化していくことが可能だという考え方である。
健康という価値には、食や運動、メンタル面、介護、教育(食育など)が関わっている。パーソナルヘルスレ
コードとして、日常の健康データ管理などを病院に一元化、または業務委託することで、本物の市民医療健康拠
点としてのサービスのシナジーを生むこともできるだろう。市民側も、住民が協業しているという参加意識を持
つことで、自らのニーズを反映させたり、過剰なクレームも抑制するなど、副次的効果も生まれてくる。
病院だけでなく、都市緑化公園、学校、文化スポーツ施設などにこれを応用したモデルを構築することも考え
られる。
さらに、出資の概念をもう一歩進めれば、病院に個人の財産を信託するというアプローチもあり得る。病院側
は、その信託財産の信託受益権分を医療健康サービスで充当するという考え方である。これを高齢世代の資産運
用プランニングとして組み立て、相続に回す財産などを差し引いた残余は病院に信託して、生涯、健康的に生き
るためのサービスを享受することができるようにすれば、魅力的な投資対象になろう。
こうした資金調達が可能になるためには、病院側でも、現在の診療報酬分のみのビジネスモデルではなく、健
康、介護サービス全般のビジネスモデルヘの切り替えが必要である。これをコンプレックス施設とし、健康デベ
ロッパーとしての役割を地域で果たすことを追求することで、地域に健康に関わる「公」の価値が創出されるこ
とになる。
日本の全体課題が「公」の設計にあるとしても、人はビジョンや論理だけでは納得しないだろう。国全体を動
かすためには、地域などで具体的モデルの成功事例を創ることが不可欠である。あれならできそうだというもの
が実際に回っていく姿を具体的に見せる必要がある。それに向けて人々を実際に動かすためには、何かのきっか
けが必要である。
そのきっかけの一つとして、パブリックエクイティという考え方を地域の病院「経営」に組み込むことを提案
してみたい。その成功事例が現われれば、持続可能な医療システムの構築に向けた大きな一歩になるのではない
だろうか。
(参考文献)

●「公」の概念や社会システムの再設計、医療財源システムの改革などの議論については、松田学(著)「競争
も平等も超えて-チャレンジする日本の再設計図-」(財経詳報社、2008 年 10 月)を参照。

●パブリックエクイティの論理立てについては、松田学他による共著「永久国債の研究」(光文社、2009 年 5 月)
を参照。

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